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奥久慈街道について

令和元年10月に東白川地方4町村(棚倉町・矢祭町・塙町・鮫川村)が連携し、東白川地方自転車活用推進協議会が設立されました。そして同協議会によって、令和元年度中に東白川地方自転車活用推進計画が策定され、福島県を通じて国土交通省に提出。同計画とともに東白川地方を周遊する全長75.2キロメートルのサイクリングコースが設定され、奥久慈街道(おくくじかいどう)と名付けられ、このコースは、福島県では初めて国土交通省が認定するモデルルートに選ばれました。

棚倉城跡について

元和元年(1622年)、常陸国古渡より棚倉に移封された丹羽長重は、幕府より築城の命を受け寛永元年(1624年)、近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、翌2年、その跡地に棚倉城の築城に着手しました。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争で落城するまでの240余年、8家16代の城主交代があり、お堀に住む大亀が水面に浮かぶと決まってお殿様が転封されたということから、別名「亀ケ城」ともいわれています。
土塁の上には南北朝時代の板碑や棚倉城規模碑、畑俊六(はたしゅんろく)元帥終焉の碑などがあります。また、西側外堀跡には約160mにわたり石垣が残っています。

八槻都々古別神社について

都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都都古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“中宮”にあたります。
縁起によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が八溝山の「東夷」の大将を討った際、守護として示現した三神が建鉾山より箭(や)を放ち、箭の着いた場所を箭津幾(やつき)とし都々古別神社を創建したのがはじまりといわれています。
祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祭り、農耕神としての性格が古く、のちに武神が加わったものと考えられます。その年の新籾を藁苞に入れて(ツトッコという)奉納し、その折他のツトッコをいただいて帰る風習(霜月の大祭)や御田植の神事(旧正月6日)等の存在は、農耕神の性格を物語ります。
社宝には銅鉢(国指定重要文化財)、木面十一面観音立像(国認定重要美術品)など数多くの貴重な文化財が遺されています。 

鹿角平観光牧場について

大草原が広がる鹿角平観光牧場内には、バーベキューハウスやバンガロー、天文台などが整備され、青空のもと思いっきり遊ぶことができます。ふくしま緑の百景に選定されています。

湯遊ランドはなわについて

宿泊・飲食・キャンプ施設を併設した公営の温泉浴施設です。ご宿泊のほか、日帰りの温泉入浴が楽しめます。湯岐温泉干泥の湯を源泉としたアルカリ泉は一般的適応症、特にきりきず、やけどに顕著な効能があり、古くから知る人ぞ知る名湯として土地の人々に愛され親しまれてきた温泉です。8月から10月にかけてはダリア園をお楽しみいただけます。

いかがだったでしょうか?ぜひ奥久慈街道の歴史に触れながらサイクリングを楽しんで頂ければと思います。まだまだエントリーも受付しておりますので、ご興味のある方は下のボタンからぜひご参加ください♪

※現地集合の一般公募は定員に達したため現在募集を停止しております。
現在はアクセスパックご利用の方のみ、エントリーを承っております。